« 地元の小学校でまち歩きのボランティアをしました | トップページ | 得意な場所で、得意なことを »

丸順不動産の創業の頃のこと、なぜ丸順とう名前がついたかなど

さて、今日は、創業の頃のお話を書こうと思います。
と言っても、大昔のことなので見聞きしたことしかわかりません。
いや、その見聞きもほとんど無いので、じつは謎だらけです。

下の記事は、昭和42年6月に発行された社団法人大阪府宅地建物取引員会機関誌のコピーです。
記事は、私の祖父・小山隆平さんが大阪府知事から建設功労者として表彰を受けたことを伝えるものです。
丸順不動産の創業者です。

T_photo_2

ここに、祖父の略歴と丸順不動産の創業時期についての記載があります。
大正13年(1924年)4月に『小山商店』として宅地建物取引業を開設したと書いてあります。
創業から終戦の頃までは宅建業専門ではなく、薬関係の仕事や岐阜県でマンガン鉱山を経営していたと父から聞きました。
創業の場所は現在の西田辺ではなく、大阪市城東区だったようです。
これは、この記事とは別に残っていた大昔の宅建免許の更新申請の書類に記載されていました。
丸順という屋号になったのは昭和8年のようです。

余談ですが、岐阜県大垣市に本社を置く丸順という自動車用プレス金型および部品などを製造販売する会社があります。
株式会社丸順
https://www.marujun.co.jp/

また、同じく岐阜県海津市に有限会社丸順不動産という宅建業者さんがあるのも偶然なのか?
祖父が経営していたマンガン鉱山も岐阜県ですし、なにか関係あるのかな?と思っています。
丸順という屋号の会社は全国にいくつかあるようですが、Googleで調べる限りはそう多くはありません。
なのに、岐阜県にふたつもあるというのは…。
謎です。

創業の地からどのような沿革で今日に至ったのかもあまり資料が残っていません。
そりゃあ、間に太平洋戦争という大きな出来事があったので仕方がないですね。
会社というか、店が残っただけでも奇跡と思っています。

昭和19年頃まで東住吉区山坂2丁目にあったこともわかっています。
その昭和19年に阿倍野区桃ヶ池町2丁目に移転。
山坂のお店はJR阪和線の南田辺駅に近く、線路に面していました。
その頃、線路や駅は空襲で狙われやすかったので移転したと聞いています。
そして、地下鉄が開通するタイミングで西田辺の現在の場所に落ち着きました。
戦後の話はまた別の機会に書きます。

さて、よく質問を受ける屋号の丸順の意味ですが、じつはわからないんです。
私の父が祖父に一度だけ聞いたことがあるそうです。
「なぜ、丸順なのか?」と。
すると、明治生まれの寡黙な祖父は、
「字のとおりや」としか答えなかったとのこと。
謎すぎます(笑)

さて、大正13年(1924年)4月が創業ということは、現在創業99年になります。
創業の日は不明です。
なんと来年で100周年ですね。
私の還暦の年でもあります(笑)

太平洋戦争、オイルショック、バブル崩壊、リーマンショックといろいろ堪え忍んできました。
うしろふたつは私も知っていますが、まあそんなものは太平洋戦争に比べたらどおってことのない不況でしょう。
新型コロナウィルスはやっと終息が見えてきましたが、ウクライナの戦争や地球規模で発生する気候変動など、先行きはやや不安なものがあります。
無事に100周年を迎えることができるように、皆様のお力添えをよろしくお願いします。
期待に応えられるよう頑張ります。

----------

不動産の売買・賃貸・管理のことなど、お気軽に相談ください。
電話 06-6621-0201
メール koyama@marujun.com

当社の物件は、下記の物件ブログに掲載しています。
暮らしと商いの不動産(丸順不動産の物件ブログ)
https://marujun.cocolog-nifty.com/fudousan/

最新の情報はtwitterで発信しています
https://twitter.com/KoyamaTakateru

twitterをブログ形式で見ることができます
https://twilog.org/KoyamaTakateru

« 地元の小学校でまち歩きのボランティアをしました | トップページ | 得意な場所で、得意なことを »

フォト
無料ブログはココログ